「ソース見てみます」って言ったら負け

自分が設計した機能について、


「この機能の○○に△△を入力して、××ボタンを押したらどうなるの?」


という質問をされ、
外部設計書を見たが分からず、


「ソースを見てみます」


と答えてしまった。


ああ、またやってしまった。
と思った。


質問された内容の入力データはちょっと特殊な値の組み合わせだった。
そのようなケースが外部設計書の考慮から抜けていたわけだ。


そのケースは外部設計書には書いていないが、
プログラムを動かせば一応動くのも問題である。
プログラムを組む際に、勝手に仕様を決めてコーディングしたのか?
と責められたら、
言い返すことも難しい。


なんでもかんでも
ソースを見ないと動作がどうなるか分からないというシステム開発の現場は
どこかに問題を抱えていると思う。


昔は、
「ソース見てみます」
というフレーズを、かっこいいものだと思っていた。


同様にして、
「ソース読め」
というフレーズもかっこいいと思っていたときがあった。


これらの言葉を発した瞬間、
自分のプログラムには、
ドキュメンテーションの不備があります
ということを認めたことになる。


内部の実装がどうなっているか?
という質問なら「ソース読め」もありなんだけど、
ソフトウェアの外から見たときの振る舞いが
設計書に書いてないのは
だめだよね。